「先生、今日は旗が揚げられていますね。あの震災前は、児童会の当番が、毎日交代で揚げていたんですけど・・・。」
3月11日、学校の国旗掲揚ポールには、国旗が掲げられていました。
「でも先生、今日の旗は、上まで揚がっていない。」
「あれは『半旗』っていうの。3年前の震災の時、たくさんの方が亡くなったでしょ。そういった方たちへの、弔意を表すための、旗の揚げ方なんですよ。」
「先生が教える小学校と勉強」の風路でございます。
この時期が近づくと、特集番組が組まれ、復興の遅れの問題が浮上し、風化が懸念され・・・。
そしてこの日が過ぎるとまた、表面上はすーっとまた、いつもの毎日が始まる。
でもね、あのとき子どもたちを避難させた校庭に、突如吹き付けた横殴りの雪と、おびえて震える子どもたちの青ざめた顔は、忘れることなどできやしない。
追い打ちをかけるように起こった原発の事故。
そのあとずっと苦しめられてきたのは、拡散した放射性物質の影響。
小さい学年の子どもたちは、目の前に広がる校庭に出てどうして遊んではいけないのか、つい先日まで自分たちで花を植えていた花壇の土になぜ触れてはいけないのか、学校園で作っていたジャガイモやミニトマトをどうして食べることができないのか、わからなかったに違いありません。
だって、なにも見えないんですから。
そこに何かが付着しているなんて、小さな子どもたちにわかるはずがありません。
こわれて使うことができなくなっていた体育館がようやく使えるようになり、そこで卒業式ができたのは、昨年度の卒業生から。
周辺の除染が終わり、校庭で運動会をしたり、肌を露出させた子どもたちが学校プールで泳げるようになったのは、今年度から。
震災と原発事故の影響で、帰ることのできなくなった海辺の町から転入してきた子どもたちは、中学校へ巣立っていきました。
少しずつ、少しずつ、状況の改善は進んでいるようですが、その歩みはあまりにもゆっくりで、すっかり元通りになるまでには、この先気の遠くなるような年月を要するでしょう。
「先生、今日も、黙祷をしますよね。」
14時46分。あの震災が起きた時刻です。
インフルエンザが流行中で短縮授業のため、一斉下校で昇降口に集合する時刻と重なります。
学校長から話があり、全員で黙祷。
校庭は、先日の大雪が今でも一面を覆い尽くしています。
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