子どもたちの臨時休校が、三日間続きました。
土・日と二日間降り続いた雪がやんだ後も、あまりに深く降り積もった雪は、子どもたちが歩いて登校できるような状況になく、私たち教職員もまた、車で学校まで近づくことすらできませんでした。
「先生が教える小学校と勉強」の風路でございます。
東京都でさえも、2週連続の週末の大雪で、交通機関をはじめ大きな被害が出ましたが、もともと雪は多めの東北地方。
これはもう昭和55年の「クリスマス豪雪」に匹敵するぐらいの大雪になりました。
「クリスマス豪雪」。東北地方にお住まいの年配の方なら、覚えておいでの方も多いのでは?
この年の12月23日に四国沖で発生した低気圧が、発達を続けながら、東北地方に近づいてきました。
24日未明から、雪が降り始め、「これは、ホワイトクリスマスになるなあ。」と思っていましたが、そんなロマンチックなことを言っている場合ではなくなってきたのです。
当時は、この日が終業式。
午前中で学校が終わり、子どもたちは、明日から冬休みで、るんるん気分で帰宅していきました。
東北沖に進んできた低気圧の気圧は、972ヘクトパスカル。
これは、台風並みに発達しているということ。
激しく降る雪の中、木や電信柱が倒れ、小屋がつぶれ、ホワイトどころか真っ暗な停電が数日間続いたところもありました。
バスは運行をやめ、積もった雪が深くて、田んぼや畑と道路の境目がわからない。
こんな感じでしたよね。
今回、これに近かったわけです。
行政から派遣された除雪車や、ボランティアでショベルカーなどでかいてくれた土建屋さんなどが、がんばってくれているので、何とか学校までの道はつきましたが、道路の両脇は雪の壁。
そのため道幅が狭く、少し広めのところで、対向車を待つ心のゆとりと時間のゆとりが必要。
また、除雪が追いつかず、ぼこぼこに固まったところは、自動車版モーグル。
ハンドルを握りしめ、歯を食いしばって運転するので、学校に着いたときは、もうぐったり。
そして、待っているのが、雪かき。というより、雪掘り。
腕と腰が痛くなりました。もう町中の人がくたくたです。
皆さんもですよね。きっと。
追い打ちをかけるように、食料を中心とした物資の不足。
これって、3.11の時と同じ現象。
震災の当時、流通機構が乱れて、物が店に入ってこなくなったのですが、今回もスーパーの棚は、がらーんとしていて何にもなく、「大雪のため云々」という紙が貼ってあるのみ。
さて、と言うことで、大雪ですから「重ーい」話が多いのですが、気を取り直して。
このブログは、お勉強のブログでもあるので、「流通機構」関連のこちらのお話を復習しておきましょうか。
(「東日本大震災」という呼び名に落ち着く前は、「東北関東大震災」だったんですよね。)