3月3日は、桃の節句。
幼稚園や保育所などでは、よく「ひなまつり会」などをやって、お遊戯をしたり歌ったりして、楽しく過ごしますよね。
小学校に上がると、保健の先生が「3月3日は、『耳の日』です。」なんていうお話をしたり、掲示物が保健室前に貼られていたりします。
「先生が教える小学校と勉強:小学生子育てプロママ養成講座」の風路でございます。
かなり以前のことになります。
NHKのアーカイブス的な番組で、第1作目の大河ドラマ「花の生涯」の白黒の映像をチラッと放送したことがあります。
原作は舟橋聖一で、幕末の大老、井伊直弼の生涯を描いた作品ですね。
この作品が放送されたのが、1963年ですから、なんと50年以上も前になります。
なんでも、当時の放送局用のビデオテープは非常に高価で大型だったため、放送が終わると消されて他に利用するのが普通だったとのことで、第1話と「桜田門外の変」の断片が少し残っているのみ、とのこと。
主演は、歌舞伎の、今の尾上松緑さんの祖父にあたる二代目尾上松緑さんでした。
で、この幕末の大老、井伊直弼は、日米修好条約を結び安政の大獄を断行するわけですが、雪の降る1860年の3月3日(暦が今と異なりますので、今の暦なら3月24日)、桜田門外で水戸浪士に襲われ、命を落とします。
これが歴史の学習に登場するあの有名な「桜田門外の変」ですね。
安政の大獄など、幕末の歴史は、歴女の皆様をはじめとして、詳しい方もたくさんいらっしゃることと思います。
詳細は、とてもここには書ききれませんので、ご興味のある方は、歴史の教科書や参考書、その他多数の歴史本で復習なさって下さいね。
昨年の大河ドラマ「八重の桜」にも登場していた会津藩主、松平容保なども、このあたりの歴史にはメインキャストの周辺によく登場するおなじみの人物のひとりで、直弼が直面していた将軍継承問題にも絡んできます。
幕府の最高権力者が白昼襲われて落命するという失態に幕府の権威は地に落ち、以降幕府の方針は公武合体という朝廷との協調路線に転換し、さらには薩長との対立を経て大政奉還へと、終焉への道を進むことになっていくわけで、日本史的には、かなり重要な一日だったんですね。
歴史の勉強って、何かがあった年号を暗記するだけでは、ちっともおもしろくありません。
こういった「歴史の転換点」をドラマチックにとらえるところに歴史学習の醍醐味があるんですね。
ところで、年号の暗記と言えばよく出てくる「ペリーの来航」。
1853年ですが、いろいろな語呂合わせがありますよ。
「ペリー来て、いち(1) 夜(8)で ゴミ(53)たまる。」 とか、
「いや(18)でござ(53)んす。ぺりーさん。」とか。
で、このペリーさん、この次の年も来航し、開国についての日本の回答を求めるんですか、1854年の3月3日、ついに日米和親条約が結ばれ、鎖国が終わりを告げることになるわけです。
参考