3月に入り、登校第1日目はすでに3日でした。
これは思った通り超特急で毎日が過ぎていきそうで、覚悟してかからねばなりません。
「先生が教える小学校と勉強」の風路でございます。
この時期になりますと、国語、算数は言うにおよばず、いろいろな教科もまとめの時期に入ります。
1年生~2年生は、理科・社会科という教科はなく、生活科という学習がそれらを併せたような形であります。
生活科が取り入れられて、もう20年以上になりますか。
3年生から、理科・社会科が登場します。
今の時代を反映しているなあと思うのは、社会科に情報産業についての学習が出てきたり、大事に守っていかなければならない森林などの自然環境の学習が登場していることですね。
ちょっと笑い話になりますが、先日、情報系の学習が終わり、
「今日は、『しらかみさんち』について、調べていきましょう。」
と、伝えたとき、一人の男の子が、??不思議そうな顔をして、
「先生、『しらかみさん』て、誰ですか?」
(ん?「誰」?。「どこ」って、聞くならわかるけど・・・?)
「『白神さんち』って、どこにあるんですか?」
(はあ?「どこ」は「どこ」でも、そういうことではないわけで・・・。)
「あのね、白神さんという人の家のことではなく、白神山地という世界自然遺産になっている山地の学習ね。地図帳の索引で、どこにあるのか探してみて。」
という、まるでお笑いのようなやりとりがありました。
社会科も、地歴公民、けっこう幅が広いですね。
それらが、ずずっと連動しているんですが、理科とも関連していたりするので、おもしろいですよ。
現代では、小学校の理科や保健でも学習するので、人間のお腹の中の様子は、消化器についても呼吸器についてもおおよそのところは、子どもでも知っています。
ところが、遠く江戸の時代、東洋医学(漢方)が、医療の中心だった頃は、人間の体内のことは、医師(漢方医)でさえ現代の小学生ほどの知識もなかったようですね。
そこに切り込んだのが、蘭方医、前野良沢・杉田玄白・中川淳庵たち。
前回のお話で、開国を迫るペリーについても少し触れましたが、皆様ご存じの通り、鎖国中の日本では、長崎の出島あたりから、細々と限られた西洋の学問(オランダですよね。)を取り入れていたわけです。
前出の3人も、ドイツのクルムスのオランダ語訳の解剖書「ターヘルアナトミア」を片手に、刑死した老女の体内を見学する機会を得て、この本がいかに正確かに感心し、苦心を重ねながら日本語訳に取りかかります。
3年4ヶ月の月日を費やし完成させた本が、歴史の学習で登場する「解体新書」、苦心談が「蘭学事始」なんですね。
で、どうして今、この話なのかと言いますと、彼らがこの本を出すきっかけとなった見学日が、1771年の3月4日だったわけです。
何の本だったかで、翻訳の苦心談を読んだことがあるのですが、こんなエピソードを記憶しています。
「顔の中で『フルヘッヘンド』している物があると書いてある。『フルヘッヘンド』とは、『隆起する』という意味であるから、顔の中で隆起している物、おお、それは鼻のことに相違ない。」
そんな時代から240年あまり。日本の医学の進歩には、目を見張りますね。
参 考