小学校教師歴38年1500組の親子が大絶賛!「親の駆け込み寺」カリスマ主宰者が教える!

<桜前線北上中。桜に関するお話を少し。>

2月の大雪の時に、学校にあるしだれ桜の枝が折れてしまって、ちょっと寂しい風情の桜になってしまいましたが、何となく花の芽が濃く色づいてまいりました。

 

3月の20日頃にはすでに開花している九州地方から、5月も上旬にならないと花の開かない北海道まで、日本はほんとうに細長い国ですね。

 

皆様の地方はいかがでしょうか。

「先生が教える小学校と勉強」の風路でございます。

春の訪れが感じられるようになると、新学期もスタートです。

 

持ち帰った道具の点検補充はすみましたか?

 

これまでに学習したことの復習はしていますか?

 

スムーズなスタートが切れるように、そろそろやっておきましょうね。

ところで、日本人が花を観賞するようになったのはいつ頃からでしょうか?
中国の文化が入ってきてからのことで、奈良時代以降と考えられています。
花を観賞するために野山に出て、歌を詠むようになったのは平安時代からと言われ、一般的になったのは江戸時代以降とのこと。

 

百人一首の中にも花を詠んだ歌は数多くありますが、万葉集で調べてみると、萩が140首、梅が180首あるのに対し、桜は44首のみ。

 

古い時代の花の観賞は、その対象が梅や桃だったからと言われています。

 

平安時代以降は、中国文化が入ってきて、あちらの詩(白居易のものとか)などに桜が登場するものもあり、そういったものの影響もあって、桜も意識されるようになったようですね。
春風
〔唐〕白居易

 

春 風 先 發 苑 中 梅

 

櫻 杏 桃 李 次 第 開

 

薺 花 楡 莢 深 村 裡

 

亦 道 春 風 爲 我 來

 

春風は、まず庭の梅を開花させ、

そうすると桜・杏・桃・李が、相次いで開いてゆく。

薺(なずな)の花や、楡(にれ)の実もいっぱいの、山奥の村。

そしてまた春風は、私のためにも吹いてきてくれるのだ。

江戸の頃は、ちょっと社会科っぽいお話になりますよ。

 

お花見も一般的になり(落語に「長屋の花見」なんて言うのもありますね。)、なんと都市計画の中に、桜の景観も考えるようになったと言います。

 

上野の寛永寺の桜。

 

あれは、将軍家光が吉野から移植させたもの。

 

計画的に桜の名所を作ったんですね。

 

ただ、当時の寛永寺は、歴代将軍のお墓もある神聖な場所ですから、今と違って、庶民が飲めや歌えの大宴会をすることは禁じられていました。

 

宴会をしたい人は、王子の飛鳥山公園や向島の墨堤(隅田川の堤防)などまで出かけました。

 

この二つは、将軍吉宗が、庶民のためにたくさんの桜を植えたことから、花見の名所になったのだそうです。
夜桜見物もこの頃から始まったそうです。

長屋の花見ではありませんが、花見は日頃の憂さ晴らし。

 

飲んだり食べたり歌ったり。庶民も楽しむようになりました。

 参 考

春っぽい歌といったら、この方ですよね。

 

 <「荒城の月」「花」「箱根八里」とくれば・・・瀧 廉太郎>


 やっぱり百人一首も復習しておきましょうか。

 

 <七草がゆと百人一首>

 <これは使える!・・・百人一首の中の「嵐」>