2月の大雪の時に、学校にあるしだれ桜の枝が折れてしまって、ちょっと寂しい風情の桜になってしまいましたが、何となく花の芽が濃く色づいてまいりました。
3月の20日頃にはすでに開花している九州地方から、5月も上旬にならないと花の開かない北海道まで、日本はほんとうに細長い国ですね。
皆様の地方はいかがでしょうか。
「先生が教える小学校と勉強」の風路でございます。
春の訪れが感じられるようになると、新学期もスタートです。
持ち帰った道具の点検補充はすみましたか?
これまでに学習したことの復習はしていますか?
スムーズなスタートが切れるように、そろそろやっておきましょうね。
ところで、日本人が花を観賞するようになったのはいつ頃からでしょうか?
中国の文化が入ってきてからのことで、奈良時代以降と考えられています。
花を観賞するために野山に出て、歌を詠むようになったのは平安時代からと言われ、一般的になったのは江戸時代以降とのこと。
百人一首の中にも花を詠んだ歌は数多くありますが、万葉集で調べてみると、萩が140首、梅が180首あるのに対し、桜は44首のみ。
古い時代の花の観賞は、その対象が梅や桃だったからと言われています。
平安時代以降は、中国文化が入ってきて、あちらの詩(白居易のものとか)などに桜が登場するものもあり、そういったものの影響もあって、桜も意識されるようになったようですね。
春風
〔唐〕白居易
春 風 先 發 苑 中 梅
櫻 杏 桃 李 次 第 開
薺 花 楡 莢 深 村 裡
亦 道 春 風 爲 我 來
春風は、まず庭の梅を開花させ、
そうすると桜・杏・桃・李が、相次いで開いてゆく。
薺(なずな)の花や、楡(にれ)の実もいっぱいの、山奥の村。
そしてまた春風は、私のためにも吹いてきてくれるのだ。
江戸の頃は、ちょっと社会科っぽいお話になりますよ。
お花見も一般的になり(落語に「長屋の花見」なんて言うのもありますね。)、なんと都市計画の中に、桜の景観も考えるようになったと言います。
上野の寛永寺の桜。
あれは、将軍家光が吉野から移植させたもの。
計画的に桜の名所を作ったんですね。
ただ、当時の寛永寺は、歴代将軍のお墓もある神聖な場所ですから、今と違って、庶民が飲めや歌えの大宴会をすることは禁じられていました。
宴会をしたい人は、王子の飛鳥山公園や向島の墨堤(隅田川の堤防)などまで出かけました。
この二つは、将軍吉宗が、庶民のためにたくさんの桜を植えたことから、花見の名所になったのだそうです。
夜桜見物もこの頃から始まったそうです。
長屋の花見ではありませんが、花見は日頃の憂さ晴らし。
飲んだり食べたり歌ったり。庶民も楽しむようになりました。
参 考
春っぽい歌といったら、この方ですよね。